2014年11月23日
川猫ムッちゃん何処いった?
20歳の川猫ムッちゃん、逝く。

すっかり朝晩の冷え込みも定番となりつつある。
ワタシの休日の朝飲みのブラッディ・マリーもホットの季節になったコトである。
今日はスミノフのウォッカ、ブルー・ラベルの50.5度がアルコール・ベースである。
さて・・・・・・・・・。
何とも寂しい季節になったものである。
前回、猫シャチョー・ムッちゃんもとうとう本格老ニャン介護に突入となったばかりであったが、その日の夜からムッちゃんの衰弱は急速に進み、翌日の昼前には、彼は秘書に看取られながら、20年と6ヶ月という生涯に幕を下ろして静かに去っていった。
介護に必要なモノを色々と用意して、さてこれから長期戦になるのか、否か、という矢先であった。

東京都杉並区阿佐ヶ谷で生まれた彼は、乳離れして間もない頃、電柱に貼り付けられた「子猫さしあげます」の張り紙を見て行った私達に貰われた。
彼が生まれた頃は、まだ現在の様に一般にネットが普及していなかった時代だったのである。
そう考えると、ムッちゃんはそんなムカシに生まれたのであったと、改めて感じ入ることである。
その後、彼は私達と共に釣り&キャンプに手乗りサイズの小さな頃から一緒に出掛けて行くようになり、ムクムクと大きく育つように、と名付けた「ムク」という名のとおりムクムク育ち、立派な川猫に成長したのであった。

病気をしたこともあったけれど、それでも彼は逞しくミドル・エイジャーとなり、最盛期を迎える頃、たまたま私達の事情で岐阜の山中に引っ越して、そこで一年を過ごしたのであるが、彼はそこで大自然の中を散歩する魅力に取り付かれてしまった。
たびたび脱走して遊びに行き、そのつど家族総出で大騒ぎして捜索することがあったので、脱走防止のための様々な仕掛けを施したのであるが、それらことごとくを、とうてい猫一匹の力で破壊するのは不可能と思われるそれらを、彼は何度も破壊して脱走を試みたのであった。
それ以来、東京に戻ってからも暫くの間はソレがつづいたので、私達の間では「破壊王」というアダ名がつけられたコトもあった。

そんなムッちゃんも、ここ数年は歳を感じさせない元気さと容姿をたもちつつも、静かで穏やかな老後の余生をおくっていたのであったが、今年、20歳を過ぎてからはサスガに衰えが目立ち始めた。
そして、ここ数週間で段階的に、目に見えて衰退は進み、とうとう先週月曜日、11月17日11時11分、そのニャン生に幕を下ろしたのであった。
偶然とはいえ、キレイに「1」を揃えて逝ったモノである。
猫としては、なかなかに面白い経験をして、良く生きて、上手に去っていったのではないかと思うのである。
ムッちゃんが私達の今までの人生を、より濃いものにしてくれた事にひたすら感謝したい。

開高 健の著書のかなに、どこかの国のどこかの民族の間では、人が死んだ時に「誰がしはお湯が飲めなくなった」と言うそうである。と、いう記述があって、柔らかくていい表現だナと感じ入った事を記憶している。
猫はもともとお湯は飲まないであろうが、それでも敢えてこう表現しておきたいと思うのである。
「ムッちゃんはお湯が飲めなくなったよ。」
・・・・・・・。
ムッちゃんの火葬は、口コミサイトで一番評価の良かった「ペット訪問セレモニー東京」にお願いした。
車載タイプの火葬炉を架装した1BOXのバンで出向いて火葬してくれる。
当初、翌日の夜に予約を入れてあったのであるが、1人でやっている担当者の方が体調不良ということで更に翌日の夜に延期になった。
お陰で、ムッちゃんとのお別れもゆっくり出来た事であるが、担当氏は口コミ通り誠実な人で、「他の葬儀社に依頼した場合も葬儀代は支払います」とか「ウチでやらせて頂いたばあいも無料でお引き受けします」とまで言ってくれたのである。
当日、とても丁寧に送ってもらえたので、こちらの気持ちとして定額どおりの金額で支払った。
お骨はパウダー加工をしてもらって、キレイに巾着に入った壺に納めてもらい、お守りとして待ち歩けるアイデンティティー・ボトルタイプのキーホルダーも二個付けてくれた。
とても良い「送り」になったコトである。
それにしても、である。
ムッちゃんが最期を迎えるまで、十分に覚悟を決める時間があったハズであったが、それでも、「本当にいなくなってしまった」と実感したとき、その喪失感たるや、覚悟のキャパシティーを易々と超えて溢れだし、バケツで何杯も掬える程のものであった。
正直、私の父親が他界した時の何倍も悲しかった事を告白せねばならない。
親兄弟よりも一緒に過ごした時間は長くて濃いものであったのだから、当然といえば当然なのかも知れない。
ペット・ロス・シンドロームという言葉が頭に浮かぶのでる。
アタマでは「居ない」と理解出来てはいるが、いつもの習慣で、つい、空になったムッちゃんの寝床に、無意識のうちに目をやってしまうのである。
ワタシのヒゲには随分前から白いモノが混じっているのであるが、ムッちゃんが逝ったすぐ後で、初めて眉毛に1本、白いモノを見つけた。
その1本の白い眉に、ムッちゃんと過ごした20年という歳月を見るようであった。

すっかり朝晩の冷え込みも定番となりつつある。
ワタシの休日の朝飲みのブラッディ・マリーもホットの季節になったコトである。
今日はスミノフのウォッカ、ブルー・ラベルの50.5度がアルコール・ベースである。
さて・・・・・・・・・。
何とも寂しい季節になったものである。
前回、猫シャチョー・ムッちゃんもとうとう本格老ニャン介護に突入となったばかりであったが、その日の夜からムッちゃんの衰弱は急速に進み、翌日の昼前には、彼は秘書に看取られながら、20年と6ヶ月という生涯に幕を下ろして静かに去っていった。
介護に必要なモノを色々と用意して、さてこれから長期戦になるのか、否か、という矢先であった。

東京都杉並区阿佐ヶ谷で生まれた彼は、乳離れして間もない頃、電柱に貼り付けられた「子猫さしあげます」の張り紙を見て行った私達に貰われた。
彼が生まれた頃は、まだ現在の様に一般にネットが普及していなかった時代だったのである。
そう考えると、ムッちゃんはそんなムカシに生まれたのであったと、改めて感じ入ることである。
その後、彼は私達と共に釣り&キャンプに手乗りサイズの小さな頃から一緒に出掛けて行くようになり、ムクムクと大きく育つように、と名付けた「ムク」という名のとおりムクムク育ち、立派な川猫に成長したのであった。

病気をしたこともあったけれど、それでも彼は逞しくミドル・エイジャーとなり、最盛期を迎える頃、たまたま私達の事情で岐阜の山中に引っ越して、そこで一年を過ごしたのであるが、彼はそこで大自然の中を散歩する魅力に取り付かれてしまった。
たびたび脱走して遊びに行き、そのつど家族総出で大騒ぎして捜索することがあったので、脱走防止のための様々な仕掛けを施したのであるが、それらことごとくを、とうてい猫一匹の力で破壊するのは不可能と思われるそれらを、彼は何度も破壊して脱走を試みたのであった。
それ以来、東京に戻ってからも暫くの間はソレがつづいたので、私達の間では「破壊王」というアダ名がつけられたコトもあった。

そんなムッちゃんも、ここ数年は歳を感じさせない元気さと容姿をたもちつつも、静かで穏やかな老後の余生をおくっていたのであったが、今年、20歳を過ぎてからはサスガに衰えが目立ち始めた。
そして、ここ数週間で段階的に、目に見えて衰退は進み、とうとう先週月曜日、11月17日11時11分、そのニャン生に幕を下ろしたのであった。
偶然とはいえ、キレイに「1」を揃えて逝ったモノである。
猫としては、なかなかに面白い経験をして、良く生きて、上手に去っていったのではないかと思うのである。
ムッちゃんが私達の今までの人生を、より濃いものにしてくれた事にひたすら感謝したい。

開高 健の著書のかなに、どこかの国のどこかの民族の間では、人が死んだ時に「誰がしはお湯が飲めなくなった」と言うそうである。と、いう記述があって、柔らかくていい表現だナと感じ入った事を記憶している。
猫はもともとお湯は飲まないであろうが、それでも敢えてこう表現しておきたいと思うのである。
「ムッちゃんはお湯が飲めなくなったよ。」
・・・・・・・。
ムッちゃんの火葬は、口コミサイトで一番評価の良かった「ペット訪問セレモニー東京」にお願いした。
車載タイプの火葬炉を架装した1BOXのバンで出向いて火葬してくれる。
当初、翌日の夜に予約を入れてあったのであるが、1人でやっている担当者の方が体調不良ということで更に翌日の夜に延期になった。
お陰で、ムッちゃんとのお別れもゆっくり出来た事であるが、担当氏は口コミ通り誠実な人で、「他の葬儀社に依頼した場合も葬儀代は支払います」とか「ウチでやらせて頂いたばあいも無料でお引き受けします」とまで言ってくれたのである。
当日、とても丁寧に送ってもらえたので、こちらの気持ちとして定額どおりの金額で支払った。
お骨はパウダー加工をしてもらって、キレイに巾着に入った壺に納めてもらい、お守りとして待ち歩けるアイデンティティー・ボトルタイプのキーホルダーも二個付けてくれた。
とても良い「送り」になったコトである。
それにしても、である。
ムッちゃんが最期を迎えるまで、十分に覚悟を決める時間があったハズであったが、それでも、「本当にいなくなってしまった」と実感したとき、その喪失感たるや、覚悟のキャパシティーを易々と超えて溢れだし、バケツで何杯も掬える程のものであった。
正直、私の父親が他界した時の何倍も悲しかった事を告白せねばならない。
親兄弟よりも一緒に過ごした時間は長くて濃いものであったのだから、当然といえば当然なのかも知れない。
ペット・ロス・シンドロームという言葉が頭に浮かぶのでる。
アタマでは「居ない」と理解出来てはいるが、いつもの習慣で、つい、空になったムッちゃんの寝床に、無意識のうちに目をやってしまうのである。
ワタシのヒゲには随分前から白いモノが混じっているのであるが、ムッちゃんが逝ったすぐ後で、初めて眉毛に1本、白いモノを見つけた。
その1本の白い眉に、ムッちゃんと過ごした20年という歳月を見るようであった。